チューリップ(仮)

ガラにもなくこんなことをはじめてる

ハートビート

ハートビートとは、心臓の鼓動、拍動、心拍という意味の英単語で、ITの分野では、通信ネットワーク上で機器が外部に一定間隔で発する、自らが正常に動作していることを知らせる信号やデータを指すことが多い。

ハートビートとは - IT用語辞典

このような単語をきくと業務そっちのけでファンタジーな妄想に没頭してしまう。

ネットワーク機器のような私にとってなんの面白みも感じなかった無機質な物体が実は「私は生きていますよ、問題なくここにいますよ」と誰かに向かって叫んでいただなんて、ロマンだ。これでひとつ物語が生まれてもいいくらいだ。

しかもこの話にはちょっとした続きがあって、それもまたこのロマンをさらに魅力的にしている。

通信プロトコルや通信ソフトなどの場合、死活監視のためだけでなく、通信を確立した相手方とのセッションや接続が途切れることを防ぐため、一定間隔で短い(それ自体は意味のない)データを送信し続けることがある。そのようなデータをハートビートと呼び、これにより接続維持を維持する仕組みを「キープアライブ」(keepalive)という。

ハートビートとは - IT用語辞典

意味のないハートビートを送りあうことが、相手とのつながりを維持することになるなんて。しかもそのことをキープアライブと呼ぶなんて。

私も、会社の隅っこでひっそり働いている無機質なアイツのように絶えず誰かとハートビートを送りあっているのかも。知らないあの人もきっとそうなのかも。みんな誰かとキープアライブでかかわりあっているのかも。

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ロマンだ。

檸檬

この前少しだけ檸檬のことを書いた。

そのとき私はなんのためらいもなく「私」のことを彼と呼んだが、もう一度確かめてみて、それはやっぱり間違いではないと思った。

梶井基次郎 檸檬

そもそも私には、女が友達の家を転々としながらその日暮らしをしたり、精神を病んで借金をしていたりするイメージがあまりできないという前提がある。これはあくまでも私が個人的に抱いているこの時代の物語の登場人物としての女の印象なので、もちろんこの世の全ての女性がそうだとは思っていないが、そういう印象があるからこの檸檬の「私」に対しても、もし女だったら結婚しているか何か仕事をしているだろうし、お金に困ったら借金ではなく男などの相手をして食い扶持を稼ぐだろうと思うのだ。

その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていた

察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。(中略)書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。

 だけどイメージの話はあくまでも前提にすぎない。もっと注目したところは個人的にこの部分だ。

それからまた、びいどろという色硝子で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。またそれを嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄れた私に蘇えってくる故だろうか、まったくあの味には幽かな爽やかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。

断言してもいい、おはじきを舐めて味わってこんなに冷静に分析してほめちぎるなんて、こういう変態さは男にしかだせないのではないだろうか。この話では檸檬のくだりが注目されがちだが、おはじきの話もたいがい変態だ。私はばかばかしいと思いつつも男のこういう変態さが羨ましいのだ。

例えば私は小学生のとき同級生の男子に突然鼻ちょうちんの作り方を教わったことがある。彼は顔もよく運動もできおまけに中学生のお兄ちゃんがいたおかげて少し大人びていたから私はてっきり自分とは違う世界に住む人だと思っていたが、彼も他の男子同様鼻ちょうちんの作り方を閃いたことに浮かれたり、それをほとんど話したことのない同級生にも得意げに披露したくなったりするのだなぁと、その時しみじみ親しみを感じたものだ。そして同時に、そんなことをしても平然と許されなおかつ人気者であり続けられる彼を羨まく思った。

私はそのとき自分もやってみたかったのだ。彼のように見事な鼻ちょうちんを作ってみたかった。でもできなかった。そうするためには女を捨てなければいけなかったからだ。女たるもの、鼻ちょうちんははしたなく、あほくさく、ばっちいものでないといけないのだ。

このおはじきのくだりを念頭に置いて最後の檸檬のくだりを読むと、もうこれは完全に男の変態さがなせるものとしか考えられなくなる。なんだ、爆弾って。ばかじゃないの。私もやりたい。これだから男は。

死にたくない

ふと思った。体はいたって健康だしこれから死ぬ予定もない。ただ、今とても美味しいシフォンケーキを食べていて、お店の奥の方で店員さんたちがたわいもない話をしていて、それをなんとはなしに聞いていたら、当たり前だけど店員さんひとりひとりにも人生があるんだよなぁってしみじみ実感して、そしたらなんか突然目の前の美味しいシフォンケーキがたべられなくなるのがすごくいやになったのだ。

そんなに名残惜しくなるほど特別な人生ではなかったと思う。それに、まぁこれからのことはわからないが、別にこれから何か特別なことがあるとも思えない。だけどもし誰かに聞かれたら、すこし大げさに話して聞かせられるくらいには自分の人生を気に入っている。

私はいつでも今が一番楽しかった。今も今が一番楽しい。これから死ぬまでの間に、美味しいものを食べ尽くして、美しいものを見尽くして、楽しいことややりたいことをやり尽くして、本や音楽や映画にもっとたくさん触れて、そしたらもうこの世にも満足するのだろうか。それとももうやめたいと思うときがくるのだろうか。痛いのや辛いのはできればいやだな。みんなにちゃんと恩返ししないとな。あ。もしも過去に戻れるなら明治や大正時代の日本の、宮沢賢治太宰治が生きた時代をみてみたいな。これはジーニーへの3つ目の願いの候補かな。

唯、足るを知る。

こんなに気分がいいのはきっと美容院帰りで髪型がキマッているのと、店員さんがよく気がきく大人なイケメンだからだな。

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LAWSONのスープとかの容器(檸檬)

これは文明だ。文明の利器だ。あつあつにチンしても熱くならないのだ。

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あまりに熱くならないもんだから、はじめはチンが足りないか電子レンジが壊れたのかと思った。それくらい温まらなかった。まさか容器に仕掛けがあるとはつゆほどにも思わず、示されている温め時間の約2倍チンした。それでもこの文明の利器は涼しい顔をしていた。

もうかなわんと諦めてそのまま食べようとしたところ、開いた蓋の隙間から擦り傷がつきそうなほどの熱気が出てきた。そこでこの容器が工夫されていることに気づき、冒頭の一言に至る。私は思わぬところで文明に触れ、実感をともなう理解を得たのだ。

この心の高ぶりは積み上げた本の山に檸檬を乗せて逃げ出した「私」のそれに近い(梶井基次郎 檸檬)。彼の言葉を借りるならこれはまさに爆発だ。

檸檬 (角川文庫)

檸檬 (角川文庫)

ねごと

同居人はよく寝言をいう。おもしろいので、現場に立ち会えたときは必ずメモったり録音したりしている。調子のいいときはもう一回いってと頼むと同じように繰り返してくれたりもする。

家から持ってきたの?

おしっこしたい

ツチノコみつけた

とけいはたかいなー

忙しそうだね

でっかい小学校建て直すんだって

左がいいの

かわいいけ、ありがとけ

お茶はしっかりほしい

何のことやらさっぱりわからないものから夢の続きが気になるものまで、改めてみかえすとなかなかのバリエーションだな。しかるべき知識を持って観察すれば何かしらの研究成果を上げられそうだ。

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