チューリップ(仮)

ガラにもなくこんなことをはじめてる

サボテンボーイ

あなたってサボテンみたいね。緑色が好きだって話をしてくれたとき、私そんなことを考えていたの。

だってあなた砂漠みたいに何にもない部屋で、ぽつんと一人で生きている。トゲもある。トゲなんて、ゆっくり触れればちっとも痛くないけどね。

自分には何もないって思ってるでしょう。でもそれは違う。オアシスが見つからないとき人はサボテンの水を飲むのよ。

ほったらかしでもちゃんと立派に育つもんだからみんな誤解しているの。時々水をあげて愛を囁けば、かわいい花だって咲かせられるのに。

ねぇ私サボテンってすきよ。ほんとうよ。ただサボテンを見つけるよりも前からオアシスの場所を知っていただけ。

深夜徘徊してみた

めずらしく眠れなくて映画をみたり絵を描いたりしていたら、ふとこのまま深夜徘徊してみるのはどうかというアイデアが浮かんだ。それは軽い思いつきだったけど、有意義な眠れない夜を過ごせるとてもいいアイデアな気がした。

目的地は近くの川だ。近くにいい感じの川があって、川沿いがいい感じになっているのだけど、そこを散歩するととてもいい感じの気分になれそうだと前々から思っていたのだ。

スリッパではなくスニーカーを履いてマンションを出た。自分が歩くとアスファルトに砂利がこすれて小さく音がなった。静かだからそれがよくきこえた。見慣れたまちだが、とても新鮮な気持ちだった。思ったよりも人がいない。そして暗い。とても心地よい。「深夜」が私にひっそりと寄り添ってくれているようだった。

15分後、目的の川についた。

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正直、帰りたかった。

はじめは心地よく感じていた静けさが、途中からだんだん怖く感じるようになっていた。不審者がいたらどうしようとか、そういうことをふと考えてしまったのだ。「深夜」につきまとわれているように感じて、すこぶる居心地がわるかった。

それでもやっぱり川はいい感じだった。夜が明けるまであと30分ぐらいだろうから、どうせならと、なんとかそれまではここにいてみることにした。

軍手をはめたおじさんの訝しげな視線を感じながら適度な段差に腰を下ろす。冷えた空気が私の感覚を研ぎ澄ましていく。

川に反射する街灯の光。

高速道路を走るトラックの音。

冷たく柔らかい風。

自転車で犬の散歩をするおじさんと、自転車のスピードで散歩させられる芝犬。

そうしてだんだん明るくなる空。

青白くなる空気とそのにおい。

すずめの鳴き声。

集団で空を飛ぶなんかの鳥。

川の水音。

夜が明けたようだった。夜が明ける瞬間に立ち会えたことがとても光栄に思えた。

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私の足元に誰かが撒いていったパンくずがあったのに気づいた。それを白黒の鳥が2匹ついばみにきた。子どもとそのおかあさんがその話をしながら後ろの道を通り過ぎていった。

私は途中のコンビニで消しゴムを買って、そして帰ろうと思った。

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最近よく思い出すこと

母に怒られたときのことだ。

母にはよく叱られた。

母は声が大きく私たち兄弟を叱る時もそれはもうすごい声量だった。家の中はおろか家の裏の小道をはさんだ向かい側にあるしょうこちゃんの家の近くまでよくきこえた。

母はまだ幼い私たち兄弟を叱るとき、忍者屋敷のお土産に買ってもらったプラスチックの短刀でふくらはぎを叩いた。叩かれる回数は「大きく1回」か「小さく10回」かを選ばせてもらえたから、私はできるだけ痛みが少なく済むよう、その都度母の様子を伺いながら「大きく1回」だの「小さく10回」だのと泣きながら答えた。少し成長して知恵がついてからは「中ぐらいで5回」と叩かれる回数を値切ったりもした。

母に叱られるのは怖かったけど、理不尽な理由で怒鳴られたことや手や足で直接殴ったり蹴られたりしたことは一度もなかったので、私はそれらをおそれながらも受け入れ、叱られたことについては幼心にもしっかり反省していた。と思う。

私も弟もある程度成長し、もうふくらはぎを短刀で叩かれることもなくなった頃。母は一度だけ、怒った、ことがある。

年末だった。その日父と弟と私は大掃除のための道具を調達しに買い物に出かけ、ついでに閉店セール中のスポーツショップに寄った。私たち家族は年明けにスキー場へいく予定があったので、その時のウェアやらゴーグルやらをついでに買って帰ることにしたのだ。

これがいけなかった。あれやこれやと選んでいるうちに思ったよりも時間が経っていて、正午には帰ってくる予定だったのが気がつけばもう15時を過ぎていた。その間母はずっと一人で家の掃除をしていた。自分が家族の帰りを待ちながらお昼ご飯も食べずにせっせと家の掃除をしている間に他の3人は高い買い物を楽しんでいたと知った母は、怒った。

あのとき母は叱るではなく怒った。静かにとは言わないものの、いつも私たちを叱るときは明らかに声のトーンが控えめだった。私はその一瞬で買い物の夢から覚めた。私たちは楽しかったからお昼ご飯なんか食べなくてもへっちゃらだったけど、母は年の瀬の寒い中冷たい雑巾をもって家中を動き回っていたからきっとお腹もすいていただろう。帰ってきたらあったかいうどんを作ってあげようと、ずっと待ってくれていただろう。遅いなぁと心配していただろう。母のことなんか、私たちはちっとも考えていなかったのに。

買い物の夢から覚めると同時に、無神経な行いにがっかりされたと思った。母にがっかりされるくらいなら、大声で叱られながらふくらはぎを叩かれる方が何倍もましだった。

あれから10年が経った。私たちが閉店セール中のスポーツショップで過ごしたよりもはるかに長い時間が経った。スポーツショップは予定通り閉店し、スポーツショップがあった場所にはパチンコ屋か何かができた。父は家を出ていった。私たち兄弟も就職や進学で実家を出た。あのありがたい恐怖のしつけのおかげで、ある程度の事は叱られなくても自分でできるようになった。母はようやく自分のために時間を使ってくれるようになった。

そんなことを考えるようになった今日この頃、なぜかあのときの怒った母の姿や、素直に謝ることができず適当にやり過ごしてしまった自分のことをよく思い出す。

怖い絵展に行ってきた

今週のお題「芸術の秋」

「怖い絵」展 | オフィシャルホームページ 見どころやチケット情報など 2017年 兵庫県立美術館・上野の森美術館にて開催

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11/12 15:00頃に行って、100分待ちだった。結構寒かった。チケットは並ばずに買えた。コンビニなどで買える前売り券は当日券よりも200円安かったけど、デザインがコンビニ仕様のかわいくないやつだったから、もしチケット売り場が並んでたとしても私はかわいい当日券の方を買ってたと思う。

並んでる間、同居人と友だちや恋愛の話をした。あとその辺に生えている中で一番登りやすそうな木はどれかみたいな話もした。並ぶ前に何かあたたかいものと小腹を満たすものを買っておけば良かったと思った。友だちや恋愛や登りやすそうな木の話をしていたから待つのはそんなに苦ではなかった。

17:00前、中に入れた。中も人がいっぱいだった。あと1時間で閉館だったから本当は吉田羊さんの音声解説も借りたかったけどやめた。効率よく回るためにまず最後までさらっと見て気になるものをチェックしておき、そのあとまた最初に戻ってチェックしたものをみていく作戦にした。まるで試験の攻略だと思った。

一言でいうとよかった。でもなんか期待していたよりは楽しめなかったというか、思ったよりはドキドキしなかった。全てこちらの落ち度だが、私にとっては人が多すぎたのと、作品を楽しめるほどの知識がなかったのと、お腹が減っていたのがよくなかったのだと思う。あと私的にはもっと中野京子さんの知識と感性をフルに発揮して、プロにしかできない変態的な趣味を丸出しにしてほしかった。
そういう意味でいうと少し前に行ったゴッホ展や現代アート展の方が変態的で私は好きだったかもしれない。それとももう少しちゃんと勉強して、腹ごしらえをしたあと、音声解説を借りて、平日にいけば変わるのかな。変態さを感じとる技量が私になかっただけなのかも。

 

以下、個人的にぐっときたやつのメモ。

 

発見された溺死者

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中野京子’s eyeの最後に書かれていた「若くて綺麗でなければならない」にふせんをつけたくなった。苦しんで自殺した女性たちは、死んでもなお弄ばれたのか。

 

ハイエナと争う鷲と禿鷹

芸術にあまり興味がない同居人が一番長くみていた。同居人は生き物がすきで地球ドラマチックとかダーウィンがきたとかを欠かさずみているくらいだから、私にはわからない何かを感じたのかなと思うと、この絵にも特別な愛着が湧いた。

 

ソロモンの判決

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そっか、そうよなぁ、って。

 

フォルモススの裁判

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キリスト教的に、墓を掘り起こしたり死体にアレコレするのはめちゃくちゃタブーで気持ち悪いことだと聞いたことがある。それを念頭においてみると、これはよっぽどクレイジーなことしてんなってことがわかっておーと思った。

 

そして妖精たちは服を持って逃げた

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一番いいと思った。純粋に絵がきれいだった。ファンタジーなテーマも私好みだったし、よくみると変な顔の妖精が1匹いたのもおもしろかった。 

 

レディ・ジェーン・グレイの処刑

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さすがだった。やっぱりってかんじの貫禄。遠くからでもあの人に視線がぐっともっていかれた。あの人のドレスの質感がきれいだった。 

 

お土産に妖精のやつとレディジェーングレイと、切り裂きジャックのポストカードを買って帰った。

ハートビート

ハートビートとは、心臓の鼓動、拍動、心拍という意味の英単語で、ITの分野では、通信ネットワーク上で機器が外部に一定間隔で発する、自らが正常に動作していることを知らせる信号やデータを指すことが多い。

ハートビートとは - IT用語辞典

このような単語をきくと業務そっちのけでファンタジーな妄想に没頭してしまう。

ネットワーク機器のような私にとってなんの面白みも感じなかった無機質な物体が実は「私は生きていますよ、問題なくここにいますよ」と誰かに向かって叫んでいただなんて、ロマンだ。これでひとつ物語が生まれてもいいくらいだ。

しかもこの話にはちょっとした続きがあって、それもまたこのロマンをさらに魅力的にしている。

通信プロトコルや通信ソフトなどの場合、死活監視のためだけでなく、通信を確立した相手方とのセッションや接続が途切れることを防ぐため、一定間隔で短い(それ自体は意味のない)データを送信し続けることがある。そのようなデータをハートビートと呼び、これにより接続維持を維持する仕組みを「キープアライブ」(keepalive)という。

ハートビートとは - IT用語辞典

意味のないハートビートを送りあうことが、相手とのつながりを維持することになるなんて。しかもそのことをキープアライブと呼ぶなんて。

私も、会社の隅っこでひっそり働いている無機質なアイツのように絶えず誰かとハートビートを送りあっているのかも。知らないあの人もきっとそうなのかも。みんな誰かとキープアライブでかかわりあっているのかも。

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ロマンだ。