チューリップ(仮)

ガラにもなくこんなことをはじめてる

勉強の時はとりあえず耳をつかう

昔からそうだった。教科書を読むより先生の説明をきく、ノートを読み返すときは音読する、問題を解くときは考えていることも全部声に出すなど、私は耳で学ぶのが一番効率がよかった。

ちょうど一年前、ある本をきっかけに、これがちゃんと根拠に基づいていることを知る。

ソーシャル・エンジニアリング

ソーシャル・エンジニアリング

ご覧の通りこの本は効率のいい学習方法を紹介する指南書ではなく、伝説のハッカーがその手口を解説!大企業が情報流出を防ぐには?みたいな全く畑違いの内容で、上司におすすめされたから仕事に活かそうと思い読みはじめた。仕事に役立つ知識ももちろんたくさん得られたが、私が最も印象に残ったのはやっぱり冒頭で話した箇所だ。

著者のハドナジーは人を「視覚型」と「聴覚型」と「触覚型」に分け、それぞれに効果的なソーシャルエンジニアリングの手法があると説明している。私はハドナジーがいうところの「聴覚型」だったのだ。だから単語帳を黙々と眺めたり要点を書き写すやり方では身につかなかったのだなぁと、妙なところで納得してしまった。音楽をききながら勉強なんてもっての他だった。思い返してみれば勉強の時だけではなく、読書のときも文章は全て脳内で再生されているし音楽をきいたときもメロディは一度きけば覚えられるのに歌詞は何度きいてもちゃんと覚えられない。

調べてみると同じ人でも状況によって「視覚型」になったり「聴覚型」になったり「触覚型」になったりするらしく、それもまた興味深かった。おそらく勉強する時は「聴覚型」だけど映画をみてるときは「視覚型」で人を好きになるときは「触覚型」みたいな、そういうことを言っているんだと思う。あとはやってることは同じでも時間帯によって変わったり、気分に影響されたりもするのかもしれない。

こういう本を読んでいると小説を読んでいるときとは別のベクトルに新しい発見があっておもしろい。小説は内にあるものへの気づき、そうじゃない本は外にあるものとの出会いだ。本を読んでいると自分の心や頭がぐんぐん膨らんでいくイメージが湧いてくる。話がそれたがとにかく、無意識に一番効果的な勉強方法を選んでいた学生時代の自分が誇らしくなった。逆にやってもやっても身につかないことがあったときには、もしかするとそのやり方が自分の「型」に合っていないのかもしれないと、新しい切り口で悩んでみようと思う。