チューリップ(仮)

ガラにもなくこんなことをはじめてる

死にたくない

ふと思った。体はいたって健康だしこれから死ぬ予定もない。ただ、今とても美味しいシフォンケーキを食べていて、お店の奥の方で店員さんたちがたわいもない話をしていて、それをなんとはなしに聞いていたら、当たり前だけど店員さんひとりひとりにも人生があるんだよなぁってしみじみ実感して、そしたらなんか突然目の前の美味しいシフォンケーキがたべられなくなるのがすごくいやになったのだ。

そんなに名残惜しくなるほど特別な人生ではなかったと思う。それに、まぁこれからのことはわからないが、別にこれから何か特別なことがあるとも思えない。だけどもし誰かに聞かれたら、すこし大げさに話して聞かせられるくらいには自分の人生を気に入っている。

私はいつでも今が一番楽しかった。今も今が一番楽しい。これから死ぬまでの間に、美味しいものを食べ尽くして、美しいものを見尽くして、楽しいことややりたいことをやり尽くして、本や音楽や映画にもっとたくさん触れて、そしたらもうこの世にも満足するのだろうか。それとももうやめたいと思うときがくるのだろうか。痛いのや辛いのはできればいやだな。みんなにちゃんと恩返ししないとな。あ。もしも過去に戻れるなら明治や大正時代の日本の、宮沢賢治太宰治が生きた時代をみてみたいな。これはジーニーへの3つ目の願いの候補かな。

唯、足るを知る。

こんなに気分がいいのはきっと美容院帰りで髪型がキマッているのと、店員さんがよく気がきく大人なイケメンだからだな。

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LAWSONのスープとかの容器(檸檬)

これは文明だ。文明の利器だ。あつあつにチンしても熱くならないのだ。

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あまりに熱くならないもんだから、はじめはチンが足りないか電子レンジが壊れたのかと思った。それくらい温まらなかった。まさか容器に仕掛けがあるとはつゆほどにも思わず、示されている温め時間の約2倍チンした。それでもこの文明の利器は涼しい顔をしていた。

もうかなわんと諦めてそのまま食べようとしたところ、開いた蓋の隙間から擦り傷がつきそうなほどの熱気が出てきた。そこでこの容器が工夫されていることに気づき、冒頭の一言に至る。私は思わぬところで文明に触れ、実感をともなう理解を得たのだ。

この心の高ぶりは積み上げた本の山に檸檬を乗せて逃げ出した「私」のそれに近い(梶井基次郎 檸檬)。彼の言葉を借りるならこれはまさに爆発だ。

檸檬 (角川文庫)

檸檬 (角川文庫)

ねごと

同居人はよく寝言をいう。おもしろいので、現場に立ち会えたときは必ずメモったり録音したりしている。調子のいいときはもう一回いってと頼むと同じように繰り返してくれたりもする。

家から持ってきたの?

おしっこしたい

ツチノコみつけた

とけいはたかいなー

忙しそうだね

でっかい小学校建て直すんだって

左がいいの

かわいいけ、ありがとけ

お茶はしっかりほしい

何のことやらさっぱりわからないものから夢の続きが気になるものまで、改めてみかえすとなかなかのバリエーションだな。しかるべき知識を持って観察すれば何かしらの研究成果を上げられそうだ。

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口にした途端どうでもよくなる現象

急に考えが変わった。

そんなにこだわることではなかった。

こんなものは、もとからどこにでも投げ売りされている安いレプリカのガラクタだったじゃないか。それがかけがえのない宝物だったのではなかったか。今までだって、同じ空気を吸えなくたって、空気の味の違いをおもしろがっていたじゃないか。

なにも変わってはいないのに、数分前の自分はなぜあんなに動揺したのだろう。少しバツがわるく、気恥ずかしい。

タバコ

村上春樹の本に出てくる「僕」みたいな友だちがいた。留学中に出会った日本人だった。留学先はおとなりの国中国だったから、日本人の留学生もそれなりにいて、そのうちのひとりがこの友だちだった。

眠りたくない夜なんかは連絡して、ルームメイトを起こさないよう寮のベランダに出て、寒いからそれぞれ上着を着て毛布にくるまって、向こうはホットのコーヒーを、こっちはホットのココアを両手にもって、借りている本の話やすきな色の話など、色んなことを話した。飲み物がお酒になることもあった。何も話さずぼーっとしたりそれぞれの考えに耽ったりする瞬間もあった。沈黙は毛布と夜が埋めてくれた。月が左から出てきて右へ消えていくところを何度もみた。長い間連絡をとっていなくったってあいつはあいつでよろしくやってるだろうなと、なんとなく分かり合える相手だった。ちなみに毛布と夜が沈黙を埋めてくれたといったが、これはいかがわしい意味ではなく単に寒さと時間帯と沈黙の心地よさを強調しているだけなので誤解しないでほしい。

そんな友だちから最近連絡がきた。ちょうど私も何してんのかなって思っていたところだった。前みたいに色んな話をして、その流れでタバコを吸い始めたらしいことを知った。

あの友だちは、私の知らない間にタバコを吸う人になっていた。そのことに私はものすごく動揺した。電話の向こうにいる相手が急に遠い存在に感じた。勝手に大人みたいな事を始めている友だちに恨み言を言いたくなって、理不尽なその感情を表に出さないようにするので精一杯で、なにも言葉にできず、ただひとこと「そう」としか言えなかった。

あいつについて私が知っていることはそんなに多くないし、私に黙っていることがいくつあっても別によかったし、そんなことは取るに足らない小さなことだったし、今までそれが気になったことなんて一度もなかった。さらに言えばタバコを吸っている人に偏見もない、人がタバコを吸っているかどうかなんてさっきすれ違った人が眼鏡をかけていたかどうかくらい興味がない、なんなら同居人も喫煙者だし、タバコを吸う仕草は男女に限らず魅力的だと思うことだってある。

だけど私はそのとき、もうあのときのあいつはいなくなったんだと思ってしまった。あいつの肺は汚れてしまった。大人になってしまった。もう二度と同じ味の空気を吸うことはできない。もう二度と、同じ味の空気を吸ってその味についてあーだこーだと語り合うことはできない。「タバコがうまい」というありふれた言葉、あいつの口から何気なく放たれたその一言は、かけがえのない宝物をどこにでも投げ売りされている安いレプリカのガラクタにしてしまったのだ。

あるいはそういう時期が来たというだけのことなのかもしれない。安いレプリカのガラクタは、大人になるにつれ飽きられ忘れられ、捨てられる。私だけが未だここにいる。